忘年会が続き少し疲れ気味です。22日にモチコピアノスクールの発表会が終わり、クリスマスパーティー、師匠との焼肉、友人や家族との忘年会が続き、明日のカウントダウンパーティーを残すのみとなりました。今日、12月30日は飲み会の誘惑を断ち切り、何も予定を入れない、外出しないと心に決めています。朝から警固教室のディアパソンでメトロノームをカチカチと鳴らしながら、1月19日に弾く予定のモーツァルトのコンチェルトを遅めのテンポで練習しています。至福の時間です。賑やかな酒も大好きだし、年末は、はしゃいで、正月はだらだらしようと企んだりするのですが、どうも思い切りは羽根を伸ばせない性分みたいです。
先日、ピアノの恩師である山田先生にコンツェルトの伴奏を付けて頂きました。10年ぶりに入るレッスン室は当時のピアノがそのままの状態で配置されていて、楽譜棚や観葉植物達も変わらぬ佇まい。当時真新しかった防音室の壁は少しクリーム色がかった様子で、ピアノの音は年を重ねた艶やかな響きに変わり、高音部のみ少し疲れ気味でした。先生というのは変わらないものです。この日も、一緒にピアノの音を出した途端に高校時代にタイムスリップ。2時間程夢中で弾いて、先生から音楽の力を注入して頂きました。これで本番まで頑張れそうです。
フィギュアスケートのグランプリシリーズファイナルは、浅田選手と羽生選手のダブル優勝で幕を閉じました。おめでとうございます!実は、幸運にもエキシビジョンを生で観戦することができたのです。もちろん、僕にとっては初のフィギュア観戦となり大きな感銘を受けました。
今回はエキシビジョンなので、色々な演出もあって伸び伸びとした演技を楽しむ事ができました。これが試合となると、厳密な採点方式を用いて鋭いジャッチの目で順位付けがなされるのでしょう。世界トップレベルでもけっこうな点差がつくのですね。頂点に立つというのは本当に大変です。それにしても、真央ちゃんのトリプルアクセルは何としても成功して欲しいです。これだけ頑張っているのだから、成功させてあげたい。もう、日本中が親心になって応援していますよ。
フィギュアの世界大会を見ていると、ピアノの国際コンクールと似ているなと思うんです。ピアノにはフィギュア程の華やかさや大衆性はないけれど、技術と芸術性を追求する課程は同じです。「練習で10回弾いて、9回成功して1回失敗する箇所は本番できっと失敗する」とよく言いますが、トリプルアクセルなどはまさにそれでしょう。スケートが大好きでも、失敗しないための練習は苦行に違いありません。最高のクオリティーからさらに一段上がるためには、それまでの努力とは比べ物にならない努力が必要なのでしょうね。ホント、脱帽です。
今年は紅葉をゆっくりと楽しむ余裕はなく、季節はまるでジェットコースターのように焼き付く猛暑から冬へと一気に駆け下りるようでした。去年の秋などは暇を持て余しふらりと京都へ行った事を思い起こせば、今年は僕自身が幾分忙しくなり、加えて天気も忙しかったために、いつの間にか紅葉を見過ごしていたようです。
日曜日は午前中から生憎の雨。正午にレッスンを終えて外に出るとまあまあ雨も上がっています。そこで、朝倉の方へ最晩秋の紅葉を見に出かけました。朝倉市の秋月は紅葉の名所で、一応九州の小京都(福岡の小京都だったかもしれません。)と呼ばれている街です。
山のふもとの駐車場から、地元のトラクターおじさんが12名収容の荷台に人を乗せて、曲がりくねった山道を登って城跡まで運んでくれます。まるでタイの山奥の村へと向かうみたいに。さて、紅葉は赤、黄、緑と入り交じった鮮やかな色で、散り去った落ち葉の絨毯もまだ色を残しています。午前の雨のせいで、じめじめ湿った落ち葉をつま先で踏んで歩いて行きます。水たまりに気をつけながら。秋月城内にある神社の木々は、雨上がりの空気を吸い上げるように天高く真っ直ぐに伸びています。垂裕神社という名前で、黒田官兵衛の孫にあたる黒田長興が祭られているとか。さらに城跡を歩いていくと驚きの建物が。こちらは現役の秋月中学校です(写真)。遠くなだらかな山を背景に翼を真っ直ぐに広げた二階建ての木造校舎。素敵な建築物です。小京都、けっこういいですよ。
面白い本に出会ったのでご紹介します。何て言ったらいいのか、ジャンルとしてはミステリー小説なのだけど、それだけじゃなくて優れた音楽評論のエッセンスも含んでいる一冊です。「シューマンの指」なだけに、シューマン論が登場人物を通して語られています。登場人物に音楽論を展開させるという点では、シューマンが試みた執筆活動を連想させます。物語りの後半からは殺人事件が勃発。僕としては登場人物の会話から出てくるシューマン論に頷きながらゆっくり読み進めていく予定だったのですが、気が付けばミステリーの世界にぐいぐい引き込まれ、一気に読破していました。シューマンの音楽は文学そのもの。その面白さを活かしたこれまでにない小説だと思います。音楽愛好家、ミステリー好き、シューマンマニア、色んな人にお勧め。2011年本屋大賞ノミネートらしいので、とっくに話題になった本なのでしょうけど。
若い力に圧倒されました。先日、アクロスで行われた福岡県文化賞のイベントで、精華女子高等学校の吹奏楽を初めて聴きました。精華の吹奏楽部は伝統があり、全国大会の常連。ついこの間、新聞で全国制覇のニュースを見たばかり。曲名は忘れたけど、オリンピックをテーマにした曲やお得意のレパートリーをマーチングと合わせて披露してくれました。とにかくノリがめちゃめちゃよくて、 金管の勢いがすごい。それでいて、整然と集団行動のパフォーマンスを繰り広げているのですから、どれだけ練習していることか。誰も変な動きやってなかったですよ。160人もいたのに。僕がその場に交じったら、5秒で見つかってしまうでしょうね。AKBのダンスも凄いと思って見てますけど、こっちも凄いですよ。160人の十代女子パワーに脱帽です。
文化賞社会部門では、スーダンで貧困に苦しむ人達の援助活動をされている河原尚行さんが、創造部門では、ドイツの音楽大学で教授職を務められているピアニストの占部由美子さんが受賞されました。占部さんはヴァイオリンと一緒にフランクのソナタを演奏。こちらはクラシックの伝統と魅力を伝える、堂々と正統派な音楽。素晴らしかったです。緞帳が下がっていて、音が響いていないのが残念でしたが。授賞式なので融通がきかなかったのでしょう。授賞式が終わり会場を後にし、帰りは一杯飲んで、中洲ブラックラーメンで〆ました。うん、良い一日。
久住高原から立派な白菜が届きました。栄養たっぷりに育って緑が眩しいです。こんなにたくさん、段ボールいっぱいの白菜をどうしましょう。八宝菜とか漬け物とか。あまり思い浮かばないので、しばらくは鍋が続きそう。韓国人なら冬に備えてキムチを漬けるのでしょうね。近頃は野菜の値段が随分高騰しているようで、その中でも白菜は例年よりも高いのだとか。代わりにほうれん草鍋という訳にはいきませんし(出汁が緑色になりそう)、白菜は大変ありがたいです。
今日は通常のレッスンはお休みで、3歳の女の子と5歳の男の子が体験レッスンにやって来ました。二人ともお話をよく聞ける、とても賢い子でした。今年はモチコピアノスクールと幼児園のレッスンを通して、小さな子供達と接する機会に恵まれています。どの子も特別なキャラクターやカラーを持っているんですよね。そんな彼らが大きくなって、将来どんな音を出すのでしょうね。楽しみです。
今朝練習した曲です。大人の生徒さんが今週末に持って来られるので、その予習も兼ねて再び楽譜を開きました。以前ざっと弾いただけで、ちゃんと練習せずにほったらかしになっていたもの。ピアニストとはいっても、舞台で弾くレベルにするには、たった数ページの小品でも大変な労力がかかるのです。だから、手つかずになっている楽譜がどれだけ多い事か。勉強する事は本当にたくさんあります。先生になるという事は、勉強をする機会が増える事でもあります。そして、生徒が成長すればするほど、先生の勉強量は雪だるま式に増えるのです。大変だ。
さて、「ベルガマスク組曲」の話に戻ります。ドビュッシーが初期に書いた代表作の一つで、3番目の「月の光」はあまりにも有名。こちらは、みんな大好きな曲なのでアンコールで弾いた事もあります。4曲からなる組曲はどれもキャラクターに富み、親しみ易い内容です。ドビュッシーの作曲技法がまだ定っていないと言われていますが、それでも、素敵な曲です。僕は、若かりしドビュッシーの瑞々しいイマジネーションが好きです。ベルガマスクのプレリュードもまさに、イマジネーションの曲なんですね。べルガマスクの由来は、ドビュッシーが旅したイタリア北部の地方都市ベルガモにあるようです。ミラノから車で一時間程の距離に位置しており、今ではローコストエアラインが乗り入れています。留学時代に降り立ったことがあるのですが、ベルガモの街には見向きもせずに通り過ぎてしまいました。殆どの旅客がミラノに行く際に通り過ぎるベルガモは、ドビュッシーが愛した美しい古都だったのです。景色を思い浮かべながら弾いてみるといいかもしれません。
福岡市美術館で「アール・ブリュット・ジャポネ展」が開催されています。アール・ブリュットって、「専門の教育をうけていない芸術家が表現した大胆なアート」という感じで記憶していて、そのまま展示室に入りました。解説を見ないで作品だけをふらふら観てまわるのが好きなので、この日もそのようにしていると、なんだかいつもと違う感覚に見舞われました。「なんだかいつもと違う。独特だ。」そう思ったんです。今まで観ていたアートを「いつも」と総称するのは変なのですが、やっぱり違う感覚だったんですよね。そこで画家の紹介をひとつずつ読んでみると、どれも精神疾患がある方の作品のようです。「アール・ブリュット」はそもそも、精神障害者の作品に関心があったフランス人画家が唱えた概念で、それが今では広義にとらえられて、素人芸術やアウトサイダーアートのような意味も帯びているのでしょう。これらの作品を観て驚かされるのは、視点の意外性と表現への執着。思いもつかないような角度から世界を観ている。そして、描き方に一切の迷いがない。なんだか、凄いんですよ。
人と違うという事がアートを生むのだとしたら、みんなアーティストなんじゃないか。そもそも人間って程度の差こそあれ、みんな疾患があるんじゃないか。疾患は個性じゃないか。そんな考えが頭の中をグルグル回っていました。美術館を出た頃には、大濠公園を行き交う人達みんなが「アール・ブリュット」に見えてきました。
週末は個人宅でのサロンコンサートがあり、テノール歌手の佐々木君と一緒に出演しました。ヨーロピアンに統一されたリビングルームでクラシック音楽の演奏とティータイムを楽しむというなんとも贅沢でアットホームな時間です。お客さんとの距離が近いサロンコンサートは、ホールのコンサートと違った良さがあります。最近は僕もいろいろな場所にすんなりと馴染めるようになりました。演奏以外のおしゃべりも大切。これが苦手なんですけど、佐々木君が得意なので助かるのです。時代を19世紀まで遡れば、サロンは音楽と人々が集う社交場だった訳で、今もそんな形式のコンサートが沢山あっていいと思います。ショパンの音楽は特にサロンに合います。今回はショパン、シューマンのピアノ曲とメロメロのイタリアもの。アモーレ、アモーレです。今度はもっと思い切って演じられるようになりたいですね。
最近はまっているアイスです。イタリアにはジェラート屋があって、夏場には老若男女がジェラート片手に一息ついている光景があちらこちらで見られます。ドイツにもイタリア人がやっているジェラート屋がけっこう多かったです。一玉、二玉、三玉という具合に注文して、コーンの上に乗せるかカップに入れるか選ぶ形式。ほとんどの人がテイクアウトして歩きながら食べます。日本では行儀が悪いと一喝入りそうですが、あちらではオッケー。僕もよく食べながら歩きました。三玉注文して、口をつける瞬間に落とした事も。普段は一玉なのに、そういう欲張った時に限って落ちるんですね。重力の悪戯。このロッテのジェラートマルシェは、一玉半といった分量で丁度いいです。味もアイスではなくジェラート。イタリア語で言っただけじゃん、とは言わないで下さい。全く別物なのです。頑張って水泳した後につい食べてしまいます。
久しぶりにCDを買いました。モーツァルトのd-mollのコンツェルト(20番)で煮詰まって、ふと誰かの助言が欲しくなったのです。便利なのが良いのか悪いのか、最近はyoutubeで味見をする癖がついてしまい、CDをじっくり聴く機会が減っていました。d-mollのコンツェルトを検索すると、内田光子やアルゲリッチの映像だって観る事ができるんですもの。ところがお二方、究極の演奏をするのだけれど、馴染めない所もあります。内田光子は神経が研ぎ澄まされ過ぎて近寄り難いし(最近はオカルト的に思える)、アルゲリッチのテンションは真似しようもない。
CDショップで探してみると、グルダのモーツァルトが目にとまりました。オーケストラはアバド指揮のウィーンフィル。これは聴いてみよう。やや落ち着いた感じで始まり、「マイルドな解釈だな」と思っていると、中盤がらグイグイ迫って来ます。目立った事はやっていないのに、最後まで凄い緊張感。音色はグルダのイメージとは違って、なんと清潔で綺麗なこと。抜群に安定したテンポに加え、淀みない音楽の流れ。そして感情の焦点がぴしゃりと合っています。久しぶりの買い物は大当たりでした。
仕事をするには身体が資本とはよく言いますが、ピアニストも例外ではありません。年齢も30歳に近づき、身体の具合に少なからずの変化が感じられるようになってきたこの夏、水泳を始めました。毎週ジムのプールで500メートル程泳いでいます。これまで、留学時代の師匠からも水泳を勧められていました。ところが、始めの一歩がなかなか踏み出せなかった。度付きゴーグルがなかったり、塩素が嫌だったりで。
「週一回っていうのが一番太り易いんだよ」という友人の言葉が気になっていますが、今の所、体重の推移は順調です。僕の場合はダイエット目的でもなく、魅せるカラダ作りをしているのでもありません。鍛えたいというよりも、肩回りの筋肉をほぐし前身をなるべくしなやかに保ちたいわけです。男性の場合は特に加齢とともに筋肉が固くなってしまいますから。柔軟さは大切です。音楽をするには身体も心も柔軟でないと。
水泳がいい理由は、全身を程よく動かせるから。肩甲骨まわりをほぐせるから。手をケガする心配がないから。夏は涼しいから。今日はお盆休み明けだったので、いい気分転換になりました。明日からまた頑張りましょう。
この写真に映っているのは何でしょう?これ、花火なんですよ。まるで月のように見えますよね。丸く散った白い火花と、水面にゆらゆらと浮かぶ光。風情があるのだけど、写真が悪く伝わりにくいですね。Phoneのカメラでなんとか頑張って撮りました。今年は大濠の花火を観る機会を逸してしまったので、今宿の花火へ。混雑を避けて、海を隔てた小戸公園から観ました。ここの駐車場は広々としていて、見物客も少ない穴場スポット。かなり遠くからなので迫力には欠けるけど、海の上に浮かぶ花火をゆっくりと眺められるのがいいです。帰りも渋滞の心配がないのが有り難い。
今週が終われば、ピアノ教室は一週間のお盆休みです。家族や友人とご飯に行って、その他の時間は新曲の譜読みをして過ごします。
舞台に立つために、避けては通れないのがオーディション。話題の朝ドラ「あまちゃん」でも、アイドルを目指すヒロインの姿が描かれています。不意打ちのようにくる小ネタがツボにはまって、すっかり「あまちゃん」ファンになってしまいました。毎朝ぼーとコーヒーを飲みながら、思わずフッと乾いた笑いがこぼれます。厳しい世界だよなと思いつつ、応援したくなるんですよね。
クラシック業界でもオーディションがあります。僕も何度か経験したことがありますが、決して簡単なものではありません。通過する人としない人で、ハッキリ分けられるのがオーディション。ここから、ここまでオッケー。それ以外は、はい!奈落行き。大抵の場合、振り落とされる人の方が圧倒的に多いです。僕もこれまでいろいろな所で振り落とされて来たので、駄目だった時の気持ちはよく分かります。
ところで、今日は初めて審査の仕事をしました。学生対象のコンチェルトソリストオーディションでした。皆さんよく練習をしていて、脱帽です。そして思いました。自分が弾くのに比べて人を評価するのはこんなにも簡単なのか、と。もちろん審査員は大切な役割りですが、これに慣れっこになるといけません。どの分野でも同じく「言うは易し、行うは難し」ですね。ああ、練習頑張らないと。
小学生の生徒二人が、小さなコンサートに出演しました。会場は天井が高い教会で、椅イスが100~120席といった感じです。程よく埋った客席。知らない所で、知らないお客さんの前で注目を浴びて、たった一人で演じるのです。大した度胸だと思いませんか。
思い返せば、僕は本番で弾く時にかなり緊張していたと思います。その日が近づくとだんだん憂鬱な気分になって。でもなんとなく弾いてしまって、終わってバンザイ。これでしばらく弾かなくていいやと思って、ただただホッとしていました。小学生の時って、そんな感じでしょ。今回弾いた二人も終わってバンザイだったようですが、「どうだった」の質問に対して、「だいたい良かったけど、装飾音がちょっとね」とか「モーツァルトは上手く弾けたけど、バッハの出だしで間違えちゃったからね」などと、嬉しい中にも悔しさが交じっている様子でした。いい経験になったのかなと思います。先生としては、次へのステップが何より楽しみですから。
新しく福岡市中央区に開園した浄水通り幼児園で、「親子で楽しむコンサート」が開催されます。ここでは音楽、美術、英語教育に重点を置いてカリキュラムが組まれていて、中でも音楽教育にはこだわりがあるようです。保育園の前身は芸術家のアトリエ。創造の空間で毎日を過ごすことができます。そして、都心でありながら緑に囲まれた素晴らしい環境も魅力的です。ここで、定期的に3~6歳の子供達と一緒に音楽の時間を過ごすことになりました。週に2回の音楽授業と、ピアノの個人レッスン。新しい出逢いに期待が膨らみます。
「親子で楽しむコンサート」はどなたでも参加出来ます。入場無料。プログラムは当日のお楽しみ。親しみ易い会にしたいと思っていますので、気軽に足を運んで頂ければと思います。
8/4(日)14:00開場,14:30開演
福岡市中央区平尾浄水町4-26
TEL:092-523-4456 / 070-6597-6303
7/28(日)は、つのえともこさんのヴァイオリンコンサートです。
クラシック音楽の楽しみの一つは、同じ作品を違う人の演奏で、様々な角度から眺め味わうことだと思います。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」でスポットを浴びた「ル・マル・デュ・ペイ」を聴いてみました。恐らく、村上春樹の小説に登場しなければ、この小さなピアノ曲は、マイナーな「巡礼の年」シリーズの中のささやかな一曲として、ひっそりと生きていたことでしょう。
まずは、小説で灰田氏が勧めていたベルマンの演奏で。
http://www.youtube.com/watch?v=Y-oZPh3LzNg
平坦な録音が気になるものの、確かに内面を捉えた耽美的な演奏です。続いて、画面横にリコメンドされたブレンデルの映像を。
http://www.youtube.com/watch?v=tXjXc35YBQI
こちらも素晴らしいですね。ややテンポがもたつく感じと、「意味ありげ」な感じがミスマッチな気もします。エリが慣れ親しんだのは、ブレンデルによる演奏。つくるはブレンデルの「ル・マル・デュ・ペイ」を、ベートーヴェン的で格調があると評していますが、より好きなのはベルマンの耽美的な解釈だと言っています。物語りは、ベルマンの耽美的な雰囲気で覆われていました。そして終盤、つくるとエリの再会シーンで、ブレンデルの意志がありエスプレッシーヴォな「ル・マル・デュ・ペイ」が重なります。まるで、エリの半生がオーバーラップしてくるみたいです。そして、つくるの人生もようやく前へ押し出されるように動き始めるのです。
ブレンデルはベートーヴェンやシューベルトの解釈では圧倒的な存在感があり、時には楽曲とのミスマッチに思える「ブレンデル節」も含めて、僕は好きです。ベルマンのリストと、どっちが好きかと聞かれると、難しいですね。もう一回聴いてみよっと。クラシック音楽は、こんな楽しみ方もありです。
1歳11ヶ月の最年少君のお母様が、持って来てくれた木琴。カラッとしたとても気持ちがいい音で、やみつきになります。魚の形をして、頭と尻尾はエメラルドグリーンに塗ってあるんですよ。お洒落ですね。これからレッスンで活躍しそうです。
さて、お知らせがあります。7/6~7と、8/17~18の4日間、「夏のコンクール特別レッスン」を行います。コンクールといっても、目的はそれ以外でも結構です。発表会等の本番に備えて、いつもと違った雰囲気でレッスンを受けたい方や、新しくピアノ教室を探している生徒さんも歓迎です。よく練習した曲で、さらにレベルアップすることを目的としています。夏休みには、もちろんたくさん遊んで欲しい。そして、ピアノもいつもより少しだけ努力して欲しいと願っています。特に、小学校高学年くらいは技術面で目覚ましく成長するゴールデンエイジだと思います。この機会に是非ご検討ください。
モーツァルトのパッセージ練習をしていると、思いのほか難しく上手く行きません。20歳の時なら気にもしない普通の分散和音でも、粒を揃えて和声に気を配っていると、もたついてしまうことしばしば。軽いスランプ状態か。いや、気持ちはいつまでも若くても、肉体は刻一刻と年齢を重ねているはずです。骨が折れる練習を終えた帰宅途中にふと、しなやかな筋肉に思いを巡らせていました。たとえばイチローは、他のプロ選手に比べ、ずっと俊敏で伸びやかな肉体を持っているように見えます。そのプレーは正確で美しい。そして故障もしない。イチローは、その身体作りには独自のこだわりがあると言っていました。普通の筋トレやマシンでは鍛える事ができない部位の筋肉を、特注マシンで程よく鍛えているそうです。ピアニストだって、年齢を重ねるほどしなやかな筋肉が必要になってくるに違いないのです。
そんな事を考えて夕食を終えてテレビをつけると、SASUKEスペシャルをやっていました。この番組、まだ続いていたんだ。僕はマッチョを見るのも好きではないし、もちろんSASUKEは好みの番組ではありません。でも今日はしなやかな筋肉の事を考えていたので、なんとなく見続けていました。すると、次ぎから次ぎへ登場する筋肉隆々の男達が、鉄骨のアスレチックに挑みかかっては無念にも崩れ去っています。それでも、いい所まで進んだ挑戦者は、割とリズミカルで流れるような動きをしています。傍から見ていると、みんなもっとしなやかな筋肉をつくればいいのにと思ってしまいました。
朝から本を読む一日です。テーブルの片隅で、2週間くらい開かれることなく鎮座していた一冊、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読み進めました。開始10分、「限定された目的は人生を簡潔にする」のフレーズに打たれました。「巡礼の年」のタイトルから連想していたのは、もちろんリストです。村上ワールドには必ず登場する、クラシック作品。この本で象徴的に流れている、「ル・マル・デュ・ペイ」は「巡礼の年一年目、スイス」の中のピアノ曲です。邦訳は「郷愁」。灰田氏お勧めのラザール・ベルマンで聴いてみましょう。
今日はこの後、あいれふホールで「山田力ピアノリサイタル」のリハーサルに立ち会い、それから井尻教室のレッスンに向かいます。そして、いよいよ夜は本番です。台風が接近する中でのゴルドベルク変奏曲。心を落ち着けて、静かに待ちたいです。
今日は生徒が出演するコンクールの日でした。「ヨーロッパ国際ピアノコンクール」。なんだかとっても凄いコンクールのような名前ですね。ヨーロッパ!国際!ですから。予選会場は井尻教室から車で15分くらいの、春日スプリングホールでした。近場で参加出来るコンクールは嬉しいです。大っきなステージにピアノがひとつ。きんちょーします。最近では、多種多様なピアノコンクールが国内外で開催されています。それらを、全部を把握するのは大変ですが、これまでに生徒の皆さんが積極的に見つけてきてくれたおかげで、僕も多少は事情に通じて来たようです。今回のコンクールの特徴は、「音楽性、様式感、音色、個性」などを重視した、ヨーロッパスタイルの審査。だそうで、審査員も外国の方が多かったです。出演した子も、いつも通り生き生きと演奏出来ました。先ほど、「講評も頂いて、受賞もできて嬉しいです!」という報告がありました。ホッ。良かった。次への励みになるのが一番ですので。
今日も数名の参加者を聴いて思ったのですが、コンクールというのは生徒によって向き不向きがあり、効果があったり、弊害があったりするものです。ですから、僕は先生として「このコンクールを受けなさい!練習しなさい!こらぁ〜!」と、言ったりすることはありません。基本的に、本人と保護者の意思→先生の診断、を経て参加を決めます。そして結果(受賞)については、宝くじだと思っています。でも、この宝くじを買うまでには努力が必要ですから。コンクール参加の是非については、質問も多いので、いつかきちんと書くつもりです。
イヴリー・ギトリスを知った時は衝撃的でした。ヴァイオリンをこれほど自由自在に操り、極限まで鳴らす人がいるだろうか。ギトリスの弓の軌道を辿ってみると、まるで武術の達人の刀が、縦横無尽に空を切っているような感じさえするのです。ギトリスの音色は、ヴァイオリンの音色を超えて、ダイレクトに心に迫って来ます。理屈抜きに一瞬で聴く人を魅了してしまう。よくピアニストやヴァイオリニストを音の魔術師と言ったりしますが、ギトリスは見た目も中身もまさに魔術師。ヴァイオリン1つで悲しみを慰め、踊りだしたくなるようなリズムで誘い、潤沢な香りで酔わせてくれる。お得意の小品が詰まった「24のカプリース」は絶品だし、彼の著書「魂と弦」は、音楽を志す人には是非読んで欲しい名著です。イスラエル出身でありながら、生粋のパリジャン。
一度生で聴いてみたいと思いつつ叶わずにいました。リヨン近郊の講習会に参加したとき、ギトリスに会いたいと話したら「そんなの簡単だよ。毎朝パリのカフェ・ド・フルールに座ってるからさ。」と、地元の学生が教えてくれた。行きましたよ、パリへ。一杯のコーヒーで2時間はねばったでしょう。しかし、思いは届かずギトリスは現れませんでした。その、ギトリスが6/19、熊本にやって来るそうです。なんで熊本やねーん!そこは福岡やろもん。
友人の結婚式で東京に行った帰りに、新しくなった歌舞伎座へ行きました。幕見券売り場には、販売開始の1時間前で30人程の列が出来ていました。チケット待ち用の長椅子(団子屋にありそうな)には残り1,5人分程のスペースがあります。初夏の午前は清々しく、運良くイスも空いているので気長に待つ事にしました。パリのオペラ座みたいな感じで、東京の名所らしくなっていますね。真新しい白壁と朱色が鮮やかです。演目は「鶴亀」と「寺子屋」。といっても、初歌舞伎座です。勘三郎、団十朗両氏の死去、歌舞伎座オープンくらいのニュースは追っているものの、歌舞伎については全く知りません。この日は、とりあえず数行のあらすじを読んで、何となく観劇していました。「鶴亀」の能の舞を綺麗な形だな、とうっとり見ているうちに、不覚にもそのまま眠くなってしまいました。前夜の宴の余韻も残っています。そして、音楽が眠気を誘って心地いいこと。「寺子屋」は、何やら物凄く深そうな心理描写だというのは分かりました。忠義に変えて我が子を差し出す松王丸を演じるのは松本幸四郎さん。保険のCMで「我々は悲しいから踊るんです。〜中略。悲しみを希望に変えて差し上げる。それが我々俳優の仕事だぁ...と思うんですね」と言っていました。きっとそうなのだろう。
ある男性の方が体験レッスンにショパンのバラード一番を持って来られました。音大生の間では「ばらいち」と略されたりしますね。同様に「ばらに」=バラード2番、「すけいち」=スケルツォ1番、「幻ポロ」=幻想ポロネーズなども。ラフマニノフのソナタ2番を「ラフマニ」と呼ぶ輩もいたけど、これはいくら何でも超約でしょう。略したがりー。そんな風に略される程、よく弾かれているんです。いきなり話がそれましたがバラ1のレッスン、楽しかったです。生徒さんは数年のブランクがあるそうで、まだ鍵盤に手が馴染まないとの事でしたが、それでもショパンの男性的なしっかりした音が出ていました。僕はショパンの旋律は究極にエレガントであり、それは、決してナヨナヨしたあま〜い音ではないと思うんです。だから、男性が弾くショパンの方が、と言うと男女差別だとの批判が飛びそうなので、男性的なショパンの方が好きです。さあ、もう一度弾いてみたくなりました。学生時代に奮闘したのが懐かしい。
GW中はピアノスクールのレッスンも一休みです。この間に、6月21日に福岡あいれふホールで開催される山田力ピアノリサイタル「ゴルドベルク変奏曲」のプログラムに掲載するコラムと解説文を書き上げました。以前のブログでも書いたのですが、僕にとってもこの曲は特別な存在で、弾いてみたいと思いつつも曲に対する畏敬の念が弾きたい欲求を押さえ込み、手つかずになっていました。もちろん、何度も聴いた事はあるし、いくつかのヴァリエーションは弾いたこともあります。今回は、解説文の仕事なので、文献を読み込んで楽曲の分析もしてみました。すると出てくる出てくる、面白い話が。詳しくは演奏会に足を運んで読んで頂き、目の前の実演に接してもらいたい。ゴルドベルクを聴けるコンサートは滅多にないです。それも、バッハを生涯のライフワークとする山田氏の演奏会ですから。
モーツァルトの協奏曲で、とりわけ好きなkv.466、ニ短調。数年前に買っておいたこの楽譜を開きました。最初の何ページかは指使いが走り書きしてありました。恐らく買った時に少し弾いてみたのでしょうね。記憶にございません。この曲は華やかなモーツァルトの協奏曲群の中で、ひと際光っています。なんでかって、曲想がダーク&ビターだからです。ベートーヴェンのお気に入りでもあったようで、ベートーヴェン作のカデンツァが残されています。天真爛漫で明るいイメージがつきまとうモーツァルトですが、後期の作品にはシリアスな面が見え隠れします。35歳で世をさった神童。あと10年長く生きていたら、もっと実直で、厚みのある作風になっていったのではないかな。その意味で、このニ短調の協奏曲はモーツァルトの中で、最もベートーヴェンらしいと言えるかもしれません。
先日、中高時代の恩師にコンサートに誘われて、久しぶりにピアノリサイタルを聴きました。スウェーデン生まれで、ドイツの大学で長年教育者としても活動されたピアニスト、アルネ・トルガー氏。なんでも、来日前に足を骨折したとの事で、老体に加え松葉杖というハンディを背負っての演奏でした。怪我したのは右足なので、ペダリングが大変だっただろうと思います。いかにも先生という風貌で、飾り気がない折り目正しい演奏でした。ベートーヴェンの「月光」、リストの「ペトラルカのソネット」より2曲、ショパンの「バラード4番」、シューマンの「クライスレリアーナ」で構成されたザ・ピアノリサイタル。際立ったのはシューマンの2曲目でした。折り重なる旋律が交わっては離れながら浮遊し、10分程続くゆっくりした曲想の中に、会場全体がゆったりと身を委ねているようでした。このコンサートで見たのは、ドイツ(スウェーデン?)の深い森の中に脈々と流れるクラシックの源流だったように思います。トルガー氏の師であるハンス・ライグラフは数多くの優秀なピアニストを輩出した教育者。今でも世界各地で人から人へ、その音楽の源流が受け継がれています。今回のコンサートでは小さい子供の姿も多く見られたのですが、驚く事に皆お行儀よく2時間のコンサートを聴いていたのです。その後ろ姿に、クラシック音楽の未来を感じたのでした。
財津徹さんとのドイツリートリサイタルを終えました。行きがけ、別府湾サービスエリアで一息つこうと外に出ると、けっこう強い冷風が吹いていました。今年は桜の開花が早く、3/31の今日は散り始め。ICから市内に下る坂道には至る所に桜並木がありました。案の定、強風に煽られて散って行く花びらもあり、次の季節の到来を告げています。路肩に寄せられた桜絨毯もまた一興。
プログラムはベートーヴェン「遥かなる恋人に寄す」、同じくベートーヴェン「ピアノソナタop.109」、休憩を挟んでシューマン「詩人の恋」。若林さんの分かりやすい曲目解説付きでした。ベートーヴェンとシューマンの歌曲は財津さんと念入りのリハーサルを重ねてきました。いよいよ最後の本番という意気込みに加えて、終わってしまう寂しさもありました。シューマンの「詩人の恋」は良い演奏ができたと思います。会場の富士屋ギャラリーは、大分のクラシックシーンには欠かせない存在になっているようです。天井は高く、立派な梁で組まれており、両脇からは障子越しに柔らかい自然光が差し込みます。お客さんや、地元スタッフの方々の繋がりも強く感じられる温かいコンサートでした。コンサートの後に温泉に入れるのも、別府の良い所です。
ドイツ留学時代の恩師、アイクホルスト先生から手紙が届きました。どうやらロシアへの演奏旅行中でシベリア鉄道に揺られているらしく、全体的に右上がりにアルファベットが綴ってありました。それでも清く、正しく、美しい、先生らしい書体は健在です。ペルミからニジニ・ノヴゴロドを列車で移動中で、その間14時間かかると書いてあります。きっと退屈極まったのでしょうね。外気温はマイナス30度。鼻水凍ってしまいます。
よく思うのですが、さらっと手紙を書くのって意外と難しいです。普段パソコンのキーボードに慣れているせいで、いざ紙に向かってペンを構えると緊張してしまいます。時候の挨拶何にしようかなと悩み、いざ書き始めると、あれ、漢字出て来ない。ケータイで変換。なんて事も。最近はなるべく書く習慣をつけて、衰えた頭と手の筋肉を鍛えています。さらさらと手紙が書ける様になりたいです。今の時代、シベリア鉄道の車内からでも世界中にメールできるのかもしれないですが、手紙となると受け取った人の想像も膨らむものです。すごく寒そうな感じがひしひしと伝わりました。しっかり手を温めてコンサートに備えてくださいね。
ドイツ歌曲といえば、なにが思い浮かぶでしょうか。シューベルトの「野ばら」や「魔王」は有名ですね。教科書にも載っていましたし。シューベルト以外にも、ベートーヴェン、シューマン、ヴォルフ、マーラー、リヒャルト・シュトラウス等、歌曲に熱をあげた作曲家がいます。彼らの創作意欲を掻き立てたのは、ドイツ文学の黄金時代を築いたとされる詩人達の活躍でした。有名どころで言うとゲーテ、シラー、アイヒェンドルフ等。ドイツ歌曲は素朴で親しみやすい曲から、深い精神世界に誘う曲まであって本当に魅力的です。歌詞がなくても楽しいし、歌詞を重ねてみると味わいが倍増しますよ。
「ベートーヴェンとシューマンの恋」と題してドイツ歌曲のサロンコンサートを開催します。この機会に是非ドイツ歌曲の世界に触れてみて下さい。
プログラム:「遥かなる恋人に寄す」「詩人の恋」
出演:財津徹(テノール)、望月未希矢(ピアノ)
場所:mochicoピアノスクール警固教室
日時:3月24日(日)15時スタート
参加費:2,000円 ドリンク付き
要予約、20名程度、お問い合わせ
朝日新聞の朝刊にこの見出しの記事が掲載されていました。二日前の土曜日、あるレストランで、後ろのお客さんの会話から「クライバーン」「末期癌」「辻井」といったキーワードを聞いていました。その時は、クラシック音楽の会話なんて珍しいな、くらいに聞き流していたのですが、朝刊をみてハッとしました。吉田秀和氏が亡くなった際もそうでしたが、一時代を築いた人が永遠になる瞬間というのは特別な思いがします。ロシアの権威「チャイコフスキーピアノコンクール」で名を覇せ、アメリカンドリームを掴んだクライバーン。終演後のステージに花束を持って詰めかける大勢の若い女性達の姿は、クラシックにおけるエンターテイメント新時代の象徴でした。クライバーンの場合、引退が早かったせいで「巨匠」にはなり得ず、「英雄」として一瞬を駆け抜けたのです。日本では辻井伸之さんのヴァン・クライバーンコンクール優勝時のドキュメンタリーなどで、生前の姿をご覧になった方も多かったのではないでしょうか。新聞記事によると、クライバーン氏は辻井氏に「クラシックに関心の無い人をコンサートに集められるような魅力のある人になって」との言葉を贈っていたそうです。実にクライヴァーンらしいです。クラシックファンの高齢化は進んでいます。僕もまさに言葉通りの期待を寄せています。
たまたま近くを通りかかったので舞鶴公園に寄って来ました。石垣をバックに梅の木が映えます。開花状況が少しずれています。すいません、こちら先週末の写真になっております。冬を越したかどうか、グレーな天気が続いているこの頃です。梅は咲き乱れない。じわっと我慢強く咲いた梅の花とまだかまだかと開かないつぼみは、奮闘する受験生の姿に重なります。石垣の上に立っている裸の木は桜でしょうか。上の段は桜で下の段は梅の木なんて贅沢な構図ですね。カメラを携えた中高年の男性が二人いらっしゃいます。それから一組の夫婦が通り過ぎました。梅って人気がないみたい。僕もわざわざ梅を見に出かけた訳ではないですが、花見客の少なさに驚きました。みんな梅ヶ江餅を食べに、太宰府天満宮の方に行ってるのかな。
ホンマでっかTVでお馴染みの脳科学者、澤口俊之氏の講演会に行って来ました。なんと900席のイベントホールが満席でした。「習い事はピアノだけでいい」の発言はインパクトがあり、「脳科学的には...」の澤口先生はあっちこっちで引っ張りだこみたいです。気になるその根拠は。以下、90分の講演会あらすじを簡単にまとめました。
IQ=知能指数
HQ=人間力(将来の夢を見る力、問題解決力、創造力、集中力、思いやり、協調性etc.)
1.脳には様々な領域があり、中でも前頭前野は脳全体の監督役なのでとても大切。
2.前頭前野は人間特有の領域で、これを発達させるとIQではなくHQを高めることができる。
3.HQを高めると未来志向行動力と社会関係力が身に付き、理性も備わる。
4.HQの向上は夢の実現、社会的成功、良好な恋愛と結婚生活に繋がる。
5.学校の科目ではHQを高められないが、適年齢にトレーニングすれば簡単に向上する。
6.HQ向上カードゲームみたいなものを自作開発したが(発売中)正直あまり面白くない。
7.たくさんの習い事や遊びで実験し、ピアノだけが全ての実験でダントツの効果を出した。
8.ピアノによって脳の構造が劇的に変化する事が証明された。
9.ピアノの稽古で高度な言語機能が身に付き、交渉能力、説明能力、語彙力が伸びた。
10.自分の末っ子はピアノ(電子ではない)を習い、とんでもなく優秀になった。偏差値75。
11.長年発達障害の相談を受けているが、ピアノの稽古でかなり改善される。
分かりやすい学術的な話と雑談が混ざって、楽しい講演会でした。それにテレビ同様に、キャラクターが面白い。ピアノの先生がこの講演を聞いて「ほらピアノはいいでしょ、習いなさい。」と言うのはとても無責任ですよね。今回紹介された数多くの実験では、ピアノを習った場合とそうではない場合で分けられていて、「ピアノの習い方」では場合分けされていませんから。その辺は普段のレッスンで実験してみようと思います。学者ではないので「脳科学的には...」とは言えませんけど。
先月テンポについてあれこれ書いたばかりですね。今日もまたテンポのことが頭に浮かんだので、少し続けてみます。というのもop.109の出だしのイメージが出来つつあった矢先、ある指揮者の方から、「それは遅いんじゃないの?」と言われたのです。「えっ、そうですか。」と、僕。表記はVivace,ma non troppo.=活発に、でも速すぎず。ベートーヴェンの「速い」がどれくらい速いのかは分からない。時速40キロで疾走する馬車に乗って速いと感じて、時速200キロのICEに乗って遅いと感じるかもしれないように、音楽の場合「速い」というのは感覚の問題でもあります。だから意見が分かれる訳です。ベートーヴェンを弾く時の大事な参考文献に、カール・チェルニー著「ベートーヴェン全作品の正しい奏法」があります。これは言わずと知れたベートーヴェンの愛弟子が書き下ろしたもの。愛弟子君は几帳面にメトロノームの数値を書き残してくれました。先生が弾いていたのを一つ一つ思い出して。ウィーンの名ピアニストで音楽学者のバドゥラ=スコダ氏は彼のマスタークラスで、この文献を知らないと言う学生諸君に対し、ひっくり返りそうになるくらい怒っていました。それ以来、僕は必ずこれに目を通してメトロノームの数値も確認するようにしています。そして悩む訳です。感覚違うよな、と。迷わず一音目が弾ける様に、もっと迷い続けたいと思います。
初めて買ったCDはミスチルのシングル「innocent world」でした。小学校4年生の僕は、小遣いを持っていなかったけれど、とにかく歌番組で見たミスチルのCDが欲しくて、自分の意志で千円札を握り近所のレコード屋へ走ったのです。千円は母親にせがんだのでしょう。いい子でしたから。その後、「tomorrow never knows」「es」「シーソーゲーム」「名もなき詩」とマイミスチルブームは続いて、小学校6年生の時からマイブームはバッハとベートーヴェンに移りました。それ以来Jポップの流行を追う事はなかったのですが、ミスチルだけは好きで今でも車の中で聞く率はミスチル8割、アメリングのシューベルト歌曲集1割、クロスFM1割。そんなミスチル贔屓の僕でも、ライブに行く習慣はないし普段はクラシックの曲ばかり弾いています。これからもミスチルとはドライブ友達としてお付き合いを続けるつもりでした。ところが、そんなある日偶然が重なる。いや運命だったのかも。正月に予定されていた福岡ドームライブが、ドラムのジェンさんがお腹を壊したために延期。ライブに行く予定だった義兄は、延期日にスイス出張。その日の僕は定休日。予期せぬチケットがまわって来る。行くしかない!ということで、人生初のドームライブに行く事になったのです。それも初恋のミスチル。スモッグの中からモグモグ歌いながら現れた櫻井さんは、ダースベーダーみたいなコートを被って登場し、なんかもう「神」みたいになっていました。
スイッチを入れて漫然と聴き始めたシュナーベルのベートヴェンピアノソナタ、op.109。気がついたらすっかり深遠な精神世界に引き込まれて、最後の変奏が終わりアリアの旋律がゆっくりと歌いだされた瞬間、心にポワっと何かが咲きました。花と言いたい所だけど、どんな花か分からないので「何か」という事にしておきます。不思議な演奏です。わっと驚くテクニックはなく、意地悪に聴けば粗も出て来る。録音状態も当然よくない。それなのに音楽の流れは途切れなく、聞き終わった後に確かな感情の痕跡が刻まれるのです。80年早く生まれていれば、その不思議をつきとめに再びドイツへ飛んだかもしれない。しかし今となっては会えないし、電話もできない。さてどうしたものでしょう。CDという媒体から正確に読み取れる事実が一つあります。それは「テンポ」。これはどんなに粗雑なアナログ録音であっても一分一秒たりとも違わないはずです。もう一度、注意して聴いてみる。なるほど微妙に伸び縮みしていますね。ほう、場合によってはかなりギリギリのところまで踏み込んでいますね。あっ、隣にかすりましたね。シュナーベルやコルトーはそのテンポのズレと細部の粗が理由で、ピアノのセンセイに評判が悪い。小声でいいますが、「これはテンポがズレているのではなく、完全に有機的なのですよ」。10年以上前に買ったシュナーベルの廉価版10枚ボックスは、youtubeの台頭に押されてお蔵入りしていました。シュナーベル先生すいませんでした、これからもよろしくお願いします。
ドイツ旅行をしてきた知人が、さっと鞄の中から取り出したこれ。見た瞬間に、懐かしい香りが蘇ってきました。このニーダーエッガー社のマジパン、僕が学生時代を過ごしたリューベックの名物なんです。ニーダーエッガー社はリューベックの老舗お菓子会社。ここのマジパンは、練り込まれたアーモンドにチョコレートでコーティングしてあります。新味の開発にも熱心です。入っているのはラム×トリュフ、オレンジ×リキュール、アルマニャック×プレーン、ウィリアムス×キリスト?最後のやつは分からない。とにかく4種類でした。そして包装は、メルヘンな伝統を守りつつも、スタイリッシュなんです。市庁舎の隣にある本店は、いつも観光客でごった返して、デパ地下並みの凄い回転で売れていました。こんなお菓子会社、ドイツは他にないんじゃないかな。マジパンって、日本人には馴染みがないですよね。初めは、なんだこりゃと思ったけれど、リューベックを離れる頃には結構好きになっていたんですね。凝りすぎない外見と、上品な甘さがいい。そして、手に取った時にふと街の情景を思い出すのがいい。これと言ってものがない土地で、唯一重宝したお土産でした。幸運の香りは、残り3つです。
井尻教室の隣にあるパーキングです。3台収容可能で、昨年の秋頃にオープンしたばかりです。オープン当時は60分100円。今年はめでたく80分100円。ありがとうございます。うちのレッスンは60分なので、この20分の差が大事なんです。値下げの理由は分かっています。一軒隔てた所にライバルが。13台収容の老舗パーキングで、80分100円。間口も広く駐車しやすい。当然こちらが人気で、新しい方はガラガラの状態が続いていました。世の中は依然として厳しい価格競争のようですね。
新年、明けましておめでとうございます。早々に、つまらない話題で2013年をスタートしてしまいました。本年はmochicoピアノスクールを、どこにもない価値あるピアノ教室として大きく成長させたいと思います。また、ピアニストとしての演奏活動も活発に続ける所存でございます。音楽の真価は、計り知れません。時間をかけがえのないものに変えます。駐車場とは違うのです。ピアノを習っててよかった、コンサートに行ってよかった。そう言ってもらえるように日々前進したいと思います。今年も宜しくお願いします。