羊と鋼の森

「"羊と鋼の森"っていう題名の本なんだけど、音楽家のあなたならピンとくるんじゃない」と知人から薦められた本。なんでも本屋大賞をとったことで、今話題なのだとか。羊と聞いて僕が真っ先に思い浮かべたのは弦楽器。今ではほとんどがスチール弦に変わっていますが、ひと昔前までは羊の腸で作るガット弦が使われていました。パブロ・カザルスのチェロにはまさにガット弦が使われていて、貴重な録音から今でもその音を体験することが出来ます。まるで高電圧線に触れたような体の芯からビリビリするような音を。先に弦をイメージしてしまったので、羊と鋼がピアノのことだとは全く思いつかなかったのです。そう、これはピアノと調律師にまつわる物語。羊毛はピアノのハンマーに使われていますからね。

 

若い調律師の心の葛藤を、出口のない森をさまようかのごとくもんもんと綴っている。華やかな世界ではない。大きなクライマックスがある訳でもない。けれど、深いピアノの森をさまよった最後にはじんわり心が暖かくなる話でした。それに、あまり知られる事のない調律の世界に誘ってくれる珍しい一冊ですね。調律師の仕事をジャンル分けするのならたぶん職人と考えるのが一般的だと思います。技術を磨いてコツコツと鍵盤を叩いて音を作っていきます。でも一般の人からすると「音」の善し悪しって、あまりにも捉えにくいですよね。目で見えないし、一つの音について言葉で表現するほど難しいことはありません。感覚的に確かであり、確かでないもの。安定したチューニングが出来るようになるにもそこそこ大変で、その先の美しい音を求める道のりは果てしない。けれど、案外まっとうに育ってきた素直な人がたどりつくのかもしれません。仕事について考える現代の若者にも届けたい本です。